拉致とは、こういうことを言う…。


 ある日突然、異国の地に強制連行(=拉致)され、地獄の労働の末に虐殺された朝鮮人労働者(岩手虐殺事件、1932)。



 北朝鮮による拉致については、真相究明、被害者家族への謝罪と補償、そして拉致に関与した機関に対する厳正な処罰を求めるため日本政府は厳しい姿勢で交渉に臨んでいかなければなりません。これは、国家主権を守るための正当な行為です。

 しかし、同時に
北朝鮮によるこの国家犯罪を糾弾する行為は、実はそのまま我々日本人にはねかえってしまうことにもなるのです。私にはこの拉致事件が、60年前の日本による朝鮮人強制連行と重なって見えてなりません。

 
北朝鮮では、日本人の拉致事件は当局の統制により一般国民にまったく知らされていません。しかし、我々日本人はこのことを笑うことなどできないし、非難もできないのです。私たちの祖国、日本が行なったさらに巨大な集団拉致事件「朝鮮人強制連行」をほとんどの人間が正しく理解していないのですから。今回の北朝鮮による拉致事件と比較にならないほどの多くの朝鮮人を日本に強制的あるいは半強制的に連れてきて、日本の戦争政策遂行のための犠牲にしたことを、どれほど知っているのでしょうか。またこうした我々の国家が犯した犯罪がいまだ事実の解明も充分でなく、したがって被害者への謝罪も補償も誠実になされていないことを、どれほど知っているのでしょうか。



1.強制連行とは

 朝鮮人強制連行とは、日本が侵略戦争を敢行するために国家総動員法に基づき1939年から実施された労務動員計画と国民動員計画により朝鮮本土からの連行、次いで国民徴用令により日本国内からの労務動員、さらには軍人・軍属・女子挺身隊・慰安婦としての戦時動員、これら全てを包括するものです。

○ 連行数・連行先
 朝鮮総督府帝国議会説明資料および内務省警保局「特高月報」等によると日本国内に約150万人、朝鮮国内約450万人、東南アジア約33万人、台湾、ロシア町サハリン、中国東北部地域です。

○ 強制連行地
 日本国内で強制労働が行われた作業所は1,141カ所にもおよび(表1参照)、現在それについての調査がなされていますが、2〜3の自治体を除いてほとんどが民間人によって調査が行われ、実証的な調査は10%前後という状態です。

表1 都道府県別強制連行場(日本国内中心)
  1939-1943.3 1944-1945  
1) 炭坑、土木、工場 2) 航空機、地下工場 3) 陸海軍基地建設 合計
北海道 104      16 120
樺  太 38      38
青  森 8   6 14
岩  手 10   1 11
宮  城 4   4 8
秋  田 6 1   7
山  形 4   2 6
福  島 8 3 2 13
茨  城 6 2 26 32
栃  木 9 2 2 13
群  馬 2 4 3 9
埼  玉 3 2 1 6
千  葉    1 11 12
東  京 10 4 7 21
神奈川 17 14 78 109
新  潟 12     12
富  山 2 1 1 4
石  川 1 3 1 5
福  井 7 3 1 11
山  梨 1   1 2
長  野 9 2   11
岐  阜 3 5 7 15
静  岡 13 4 8 25
愛  知 3 2 13 18
三  重 5 3 11 19
滋  賀 3   2 5
京  都 1 2 44 47
大  阪 12 1 10 23
兵  庫 18 4 8 30
奈  良 1   1 2
和歌山 2   12 14
鳥  取 13   1 14
島  根 3   1 4
岡  山 4 2 2 8
広  島 5 4 48 57
山  口 16 1 14 31
徳  島 14   9 23
香  川 1   3 4
愛  媛 10   5 15
高  知 3   17 20
福  岡 70 4 10 84
佐  賀 13   4 17
長  崎 25 2 53 80
熊  本 9 9 7 25
大  分 7   20 27
宮  崎 8   11 19
鹿児島 1   50 51
524 83 534 1,141

1) 内務省警保局『協和事業関係』(1944年)。1943年3月末現在の統計。国立国会図書館憲政資料室所蔵。朝鮮人強制連行真相調査団「資料1」(1992.1)参照
2) 米国戦略爆撃調査団編『米国戦略爆撃調査団報告書第15巻』には100ほどの地下工場建設予定地が示されており、「この労働力の主体は朝鮮人と捕虜の中国人であった」と指摘している。表の83カ所は兵庫朝鮮関係研究会が確認した地下工場である。同研究会編「地下工場と朝鮮人強制連行」(1990.7.明石書店)参照
3) 戦後、陸軍兵器行政本部および第二動員解除部がGHQ/SCAPに提出した報告書。日本兵器工業会資料。「旧陸海軍施設関係綴」所収。防衛庁防衛研究所所蔵。2)と重複する部分は削除した。1992年2月の資料発見以降、新たな調査対象地となった。これらの基地建設に朝鮮人が動員されていたと考えられる。朝鮮人強制連行真相調査団編「朝鮮人強制連行調査の記録−四国編−」(1992.5.柏書房)

*1)は1943.3月現在であり、以降が欠落している。3)の報告書には「洩れているもの相当にあるものと予想される」と明記されている。よって、連行地は計1,141カ所としているが、実際はかなりの欠落がある。

 強制連行は、労務動員(強制労働、挺身隊)、軍務動員(慰安婦、軍人、軍属)という2つの形態があります。そこで、これら2つの形態ごとにその実態を見ていきます。

2.労務動員


 強制労働による作業場は、炭坑、鉱山、軍需工場、土木作業、日本軍基地建設、地下工場建設等である。強制連行初期に連行された朝鮮人の移入先は約60%が鉱山関係であったとされています。これは国家総動員法を検討している段階ですでに明確にされており、政策的なものでした。
 厚生省は「坑内夫の八、九割迄は半島人(朝鮮人)にて補充」(『厚生省内意』一九四一年九月二六日)としており、鉱山労働でもっとも過酷な地下労働(坑内作業)が朝鮮人強制連行者の主な作業場でした。
 軍需工場、土木作業所等の分野でも危険な作業は、そのほとんどを朝鮮人労働者が行っていました。

○ 労務管理
 朝鮮人に対する労務管理は、戦争遂行のための殺人的「生産拡充」方針によって行われ、官憲との密接な連絡の下に対策が取られました。
 「半島人(朝鮮人)の大量使用に際して請願巡査の配置」(一九四一年、日本鉱業株式会社『所長会議資料』)に見られるように朝鮮人強制連行者の増加とともに担当警察署員が大幅に増強されています。


←官憲と労務管理者と思われる。
○ 労働時間・期間
 労働時間は10時間〜12時間がほとんどであり、契約期間は2〜3年ということだったのですが、実際は契約終了後もほとんどが強制的に再契約させられました。

○ 賃金
 表2によれば月収50円以下の低賃金労働者は日本人18%に対し朝鮮人75%です。一般的に朝鮮人労働者は日本人の半分でした。
 例えば世界最大の製鉄会社である日本製鐵(現 新日本製鐵)には1万人以上の朝鮮人が連行されました。同社の社史によれば清津製鉄所の日本人平均出勤率74%に対し朝鮮人は81%であるにもかかわらず、月収は日本人平均154円に対し朝鮮人は80円でした。
 このような低賃金でも日本に連行された場合は、渡航費、食事代、作業靴代金として差し引かれ、残りはほとんど強制的に貯金させられました。賃金を支払うと逃走するという理由からです。
 このことは戦後作成された資料でも明らかになりました。朝鮮人強制連行真相調査団が1992年1月に駒澤大学で発見した日本製鐵作成の資料によると、6工場に連行された朝鮮人強制労働者5,500人分の強制貯金、未払い金等は66万4,000円ということです。
 これらの点から推計すれば日本政府が保管している朝鮮人強制労働者の強制預金、未払い賃金は約5,000万円以上にのぼります。現在の金額に換算すると約2,900億円になります(推計は1945年8月15日現在の日本政府資料の最小値33万人を用いた)。

表2 賃金比較(1943.5)

  50円未満 50円110円 110円以上
日本人 18% 64% 18%
朝鮮人 75% 21% 4%

*調査対象(日本人877人、朝鮮人324人)
*労働科学研究所「半島人労働者勤労労働状態に関する調査報告」(1943年5月)より作成

○ 未払い賃金・供託
 ではなぜ戦後何十年もの間、このように放置されたままの状態になっているのでしょうか。1945年8月15日、祖国の解放を迎えた朝鮮人労働者は企業に対し強制預金、未払い賃金の支払いを求め各地で抗議運動を繰り広げました。これに対し日本に駐留していた連合国総司令部は、日本政府に覚書を送り「差別待遇を行わず又はこれを許さないことを補償しなければならない」(scapin360。nov28,945)としました。しかし、日本政府はこれらの未払い金と名簿を企業から法務省供託局に提出させました。日本の法律によれば、この時点で企業には本人への供託通知の義務が生ずるのですが、日本政府は朝鮮半島情勢不安定との理由で企業に通知連絡不要としました。その結果、未払い賃金は現在も日本銀行に保管されることになります。
 連行された朝鮮人が未払い賃金の支払い要求の提訴が続いてるのですが、日本政府はプライバシー保護を口実に名簿さえ公表せず、また申請者に対しては10年以上が経過したため時効であるとしています。

○ 女子挺身隊
 戦争遂行のため1943年から朝鮮国内および日本国内の軍需産業に勤労挺身隊として幼い12歳の朝鮮人少女も動員されました。
 1992年1月ソウルの芳山国民学校で確認された学籍簿によると、12歳〜14歳の生徒が1944年7月、日本・富山県の不二越に連行されたとのことで、生存者の証言によると労働時間は14時間以上であり、食事すら満足に与えられなかったということです。(『東亜日報』1992年1月16日)


食事すら満足に与えられなかった」と述べたばかりなのに、いきなり食事シーンです。
○ 労務勤具による死傷者
 上記のような労務動員による強制労働の結果、危険のともなう作業場で多くの犠牲者が出ました。
 1943年の労働科学研究所の調査によれば朝鮮人の死傷率は日本人労働者の3.5倍から6倍という高率となっています。
 北海道三菱美唄炭坑の死亡者名簿の分析では、1944年5月のガス爆発で志望した109人中、朝鮮人は82人でした。目撃者は「現在でも当時の労働者の白骨が残っている」と語っています。いまだ日本全国の連行現場には多くの朝鮮人の遺骨が、追悼碑はおろか、墓標もなく放置されています。
 1992年8月、福岡県のゴルフ開発地から朝鮮人の遺骨数十体が発見されました。しかし、ブルドーザにより遺骨は散乱し確認作業は不可能でした。
 当時、朝鮮人が命がけで反抗、逃走して失敗すると、警察と企業の労務担当者に捕らえられ虐殺されました。
 以上のような過酷な強制労働や虐待による死傷者の正確な統計数字はないが、日本国内だけでも推計30万人とも言われている。そして未だ遺族への連絡さえ行われていない。
 日本で朝鮮人の強制労働を行った企業は住友、三菱、三井の旧財閥系企業から鹿島建設、大林組、熊谷組等の土木建設会社等に及びました。これら大企業は例外なく朝鮮人強制労働により膨大な利益を得たが、現在においても強制預金や未払い賃金の支払い等、補償以前の問題解決にもまるで誠意を示していません。当然、強制労働に対する謝罪、補償を行った企業も皆無です。
 20世紀には数々の残虐行為がありましたがその主体主に軍隊でした。民間人までが官憲と一体となり600万人もの他民族に奴隷労働を強要し、リンチ・虐殺したにもかかわらず、戦後今に至るも謝罪すらしていません。にもかかわらず再発に近い現状が継続されている例は他に見受けられないと思われます。

3.軍務動員

○ 慰安婦
 慰安婦とは、日本軍の管理下で戦場に連行され日本兵との性行為を強要された女性のことで、1932年から1945年まで動員が行われました。そのほとんどは朝鮮人未婚女性で、当然、本人の承諾なしに連行されました。その数は実に10万人から20万人と言われています。
 1972年、沖縄で現地調査が行われた際、「慰安婦」の炊事を受け持っていた兼島キク氏は次のように目撃談を語った。
 「この女性たちはみな20代(1人だけ19歳)だった。1944年9月ごろ、古賀隊と一緒に来た。・・・午前中は雑役、食糧運び、それに芋掘り、材木伐りなどもさせられ兵と同じように働かされていた。昼は兵、夜は将校が相手だった。札を持った兵隊たちが列をつくってならんでいた。それでもこの人たちは『いつ死ぬか分からないんだから』と言いながら『早く国に帰りたい』『オンマに会いたい』ともらしていた。とくに月夜のときには、そうだった。そして朝鮮の歌などを寂しげに歌っていた」
 沖縄で従軍慰安婦にされたぺ・ボンギさんは1944年春、釜山で「シンガポールに行けば金儲けが出来る」騙され連行されました。慰安婦にされることを知ったとき「体中の血が逆流する思い。恐怖で震え上がったよ。大声でこんなことがあってもいいのかと叫んだよ」と証言しています。

○ 軍人・軍属
 日本の侵略戦争がアジアから太平洋へと拡大するにつれて、朝鮮人は軍要員として軍属に徴用され日本軍の基地建設、捕虜の監視のために大量動員されました。地域は日本国内から中国、東南アジアまで広範囲におよび、連行数は36万4,000人となり1953年5月現在の死亡者、行方不明者は14万人におよんでいます(公安調査庁『在日朝鮮人の概況』1953年)
 しかし、こうして徴用された朝鮮人に対し現在、外国籍という理由であらゆる援護法の適用から除外しています。

4.朝鮮人強制連行は国際法に違反する

@ 朝鮮人強制連行は国際法に違反する行為です。
 極東国際軍事裁判所条例およびニュルンベルグ国際軍事裁判では、
民間人に対する虐殺、奴隷化等の非人道的行為は加害国の国内法にかかわらず戦争犯罪であることが明記されています。
A さらに当時日本がすでに批准していたILO「強制労働ニ関スル条約」(第二九号)にも抵触します。同条約は一九七〇年のモーリシャスの批准まで含めますと、現在、約120カ国が批准しています。
 以下、該当すると考えられる条項を列挙します。

第一二条 「・・・最長期間は労働場所に往復するに要する期間を含み60日を越ゆることを得ず」
     二 「強制労働が強要せらる各労働者は其の完了したる右労働の期間を示せる証明書を交付せらるべし」
第一三条 一 「・・・任意労働に対する超過時間に付通常行はるる率に於て報酬を与へらるべし」
第一四条 一 丁 類似の労働に付通常行はるる率より低からず率に於て現金を以て報酬を与へらるべし」
       四 「賃金支払に付いては労働場所への旅行の往復に要する日数は労務日数として計算せらるべし」
第二一条 「強制労働は鉱山に於ける地下労働のため使用せらるることを得ず」

 このほか、ほとんどの項目に違反する。

5.政府の対応

 ※政府が朝鮮人強制連行・労働について、自らの手で本格的な調査を行ったことはこれまで一度もありません。

○ 強制連行について
 1965年の日韓条約締結時の国会答弁で椎名外務大臣は強制労働に対する質問に対し、「これを裏付けるよすがもない」(参議院日韓条約等特別委員会、1965年12月3日)としました。何ら手がかりがないにも関わらず、1990年8月、労働省の書庫から約6万7,000人分の強制連行者の名簿が発見されました。なおかつ、この名簿すら今日まで一切公開されていません。こうしたことから民間調査機関である朝鮮人強制連行真相調査団が、政府の調査発表数を上回る14万5,000人分の名簿を収集し一般公開しました。
 また、それ以降も引き続き追求がなされると、政府は1991年11月、厚生省に24万人分の朝鮮人軍人・軍属名簿があることを認めました。

○ 慰安婦問題について
 政府は慰安婦問題に対して当初、民間業者が連れて歩いたとして「関与」を認めませんでした。しかし、1992年1月に民間により関連資料が発見されると「関与」を認めました。
 政府の調査発表以降も民間による調査は重ねられ、国立公文書館から48点もの新たな資料が発見されました。この資料には朝鮮人慰安婦は1933年にすでに動員されており、従来の1937年頃からの動員説がさらにさかのぼることになりました。
 またこのことは、政府の真相究明に対する対応姿勢が如何に不誠実であったかを示すものといえます。
 しかし、政府はこのような不十分な調査にも関わらず強制連行を証明する資料は見あたらなかったとし、被害者からの証言収集の予定もないとしました。
 これもまた真相を解明することなく政治決着を図ろうとする意図と疑わざるを得ません。
 では、なぜ政府はかつての日本軍、日本政府の、また企業の行った行為を隠ぺいし薄小化するのにかくも必死になるのでしょうか。

○ 原因
 一言で言うと、かつての朝鮮植民地支配を有効かつ合法であったとし、歴史の真実を否定しいまだ真の反省をしないところに起因する。
 現在、日朝間で政府間交渉が行われているが、朝鮮側がかつての植民地政策による人的・物的被害の補償を求めたのに対し、日本側は、朝鮮の「合併」は「合法的」になされ「有効」であり、よって強制連行や女子挺身隊なども全て「適法」になされたものであり、補償問題は生じないという立場をとりつづけています。
 政府は1965年の日韓条約締結の際、植民地支配に対する一言半句の謝罪もせず、1910年からの植民地支配を合法として正当化しました。
 近年、南北朝鮮で新たな資料、事実が相次いで発見されています。それによると1905年の「乙巳保護条約」(第二次日韓協約)が強制締結どころか条約そのものが無効であったことが明らかになりました。
 当時、旧朝鮮の法制度である「大韓国制」(1899年)および「勅令」(1894年11月)には外国と締結する全ての条約は国王の事前承認と署名、御璽の押捺が必要であってこそ有効とされていました。明治政府は強圧と恫喝をもって朝鮮に条約締結を迫りましたが、国王の署名と御璽を得ることは出来ませんでした。条約締結の規範と原則は当時の明治憲法にも明記されていました。
 言葉だけでなく真意からアジア諸国との強調を臨むのなら現政府は違法・不当な「条約」等をねつ造し朝鮮を植民地にした事実を認め、その反省にたって慰安婦問題をはじめ朝鮮人強制連行の全容を自ら明らかにしなければならないはずです。


引用・参考資料
在日本朝鮮留学生同盟資料「朝鮮人強制連行・強制労働について」ほか


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